近江高校に入学して三年という月日があっという間に過ぎ去ってしまいました。初めて近江高校の制服に袖を通した時のドキドキワクワクした気持ちは今でも忘れません。近隣からやってくる人がいれば、他府県からやってくる人もいました。初めてのクラス発表の時には不安感や緊張感でいっぱいでしたが、その一年間、行事があるたびに皆と仲良くなっていくことが出来ました。
二年生になると後輩もでき、少し大人になった自分たちがありました。高校生活、最大のイベントのハワイの修学旅行では、日本では経験の出来ない現地ならではのたくさんの文化に触れる事が出来ました。特に大学生との交流ではまったく日本語が使えない状態での会話が半日続いたので身振り、手振りでのコミュニケーションをとる事が大変でした。色々な場所へ行ったり、普段経験の出来ない事をクラスの皆で出来たので良い思い出となりました。
そして、この三年生の一年間は、圧倒的に早く過ぎ去っていった一年でした。四月、新学期に発表された最後のクラス。その日から高校生活の何もかもが最後になり充実した中身の濃いものになりました。3A1の第一印象はとにかく皆、元気で明るく、笑顔の絶えないクラスでした。でも、毎日を過ごすたびに服装や授業態度、ベル着について担任の武田先生からは耳にたこができそうなくらい口うるさく注意されてきました。武田先生にはたくさん迷惑をかけてしまいました。でも、そんな私たちのために毎週のように黒板の隅に掲示してある「名言」がありました。私が悩んだり、落ち込んだりしている時にそれを見て救われたこともありました。一番印象に残っている言葉は相田みつをさんの「みかんもりんごもおたがいにくらべっこ。競争もしないけれどそれぞれにじぶんの花を咲かせじぶんの実をつける。」です。その言葉を聞いて、「人間は皆一緒ではない、一人ひとり人間は違い、個性や自分らしさを持っているのだからそれで良い。自信を持って前に進んでいけば良い。」と元気づけられました。武田先生、ありがとうございました。
3A1の皆は明確な自分の「夢」を全員持っています。学校の先生や消防士、美容師、野球選手、バリスタなどの職業に就きたいだとか、素敵なお嫁さんになると言った「夢」を持っています。私も管理栄養士になっていつか近江高校の食堂に帰ってくるという「夢」を持っています。そんな3A1、34人の一人ひとりの瞳が学校で毎日輝いています。皆の背中がやる気に満ち溢れていてカッコいいです。でも、「夢」はそう簡単に叶うものではありません。大切なことは必ず「時間」と「労力」がかかると学年主任の吉田先生から教えられました。今の自分達に一番あっている言葉だと思います。苦労してやっと叶えられた「夢」をまた皆で語れる日が将来に必ず来る事を楽しみにしています。
三年間ありがとう。
そんな皆が大好きです。
私の高校生活はすごく充実したものでした。クラスや部活動の仲間、それに先生方に恵まれ、日々楽しい生活を送ることができました。クラスでは向江村先生に三年間担任をしていただき、クラスのメンバーも大きく変わることもなかったため、団結力の強いクラスになりました。一年生の初めの頃は、まだ慣れていなくて担任の先生に話しにくかったときもありましたが、今では良い意味で気軽に、色々な事を話すことができます。クラスの仲間もそうです。一年の後半や二年のはじめは、落ち着きが無く多くの先生方に迷惑をかけました。行事ごとは最高に楽しんでいましたが、自分たちのことしか考えられていなかったのだと思います。しかし三年生になり、行事だけでなく、授業や普段の生活も頑張ろうと言うことで、とても落ち着いたクラスになりました。これもひとつひとつの問題をクラスみんなで解決してきたからだと思っています。クラスの一番の思い出は二年生の文化祭ですが、当日ではなくその準備期間です。夏休みにもかかわらず登校し、部活動の合間や与えられた時間を超えても自主練をしたりしました。これは、みんなが自分のためではなく、クラスのことを第一に考え、行動することができたからだと思います。その結果、文化祭当日では最高の発表ができ、賞をもらうことができました。賞だけでなく、クラスの絆や頑張ることの大切さなど、みんなの今後の人生に大きくプラスになる出来事になりました。
部活動では三年生になり、二度大きなケガをしました。今までケガをあまりしたことがなかったので、正直とても辛かったです。特に、三年最後の春高予選の決勝に出られなかったことが、本当に悔しかったです。復帰しても本当にもう一度跳べるのかがすごく不安でしたが、絶対に跳んでやるという気持ちを持ち続けていました。なぜなら、入院しているときにお見舞いに来てくれたり、退院して松葉杖をついていると荷物を持ってくれたり、励ましの言葉をかけてくれる仲間がいたからです。また彦根駅から学校まで、毎日先生は私を送ってくれました。このことは感謝しても仕切れないほどです。仲間や先生方への感謝の気持ちを持ち、春高の舞台でジャンプサーブを打つことが最高の恩返しだと思っています。
最後に、この三年間で本当に感謝の気持ちを伝えたいのは「両親」です。毎日お弁当を作ってくれ、雨の日は駅まで送ってくれる母、バレーのことで支えてくれたり、落ち込んでいるときに励ましてくれる父。私立の高校に行かせるということは並大抵のことではないのに、私がバレーをしたいということで近江高校に行かせてもらいました。私は来年から社会人になります。学校生活の集大成として両親に「ありがとう」の一言を言いたいです。春高では、今まで支えて下さった全ての人のために、最高の花を咲かせたいと思います。これが私にできる一番の恩返しです。本当に近江高校に来て良かったです。最高の三年間になりました。今後の人生は、近江高校で学んだことを精一杯活かしていきたいと思っています。(この作文を書いた後、鈴木君は宣言通り、ケガからの復帰とお世話になった方々への恩返しの気持ちを込め、春高の舞台でジャンプサーブを打つことができたということです。)
私は私立の高校へ行くことになり、金銭面でも、交通面でも多大なる迷惑を両親にかけ続けてきました。自分が好き放題なことをする中で両親はずっと私を支えてくれました。怒るときもありますが、全てが私の成長につながるようにしてくれました。高校生活で部活動、書道等をしばらく続けていて、どちらも中途半端な自分にものすごく後悔をしたり、憎んだりもしますが、そんな自分は両親のことを考えると、もうこんな迷惑になるようなことをしたくもないし、考えたくもないです。中学生のときには、部活動と違いクラブチームに所属していましたし、人よりお金がかかることをしてきました。この18年間“恩返し”というものを正確に親に与えたか自分に問うと100%一度もないと答えると思います。この先、この“恩返し”をするチャンスが増すと思うので、常に感謝の気持ちを持ち続け、恩返しを少しずつでも親に与えていくためにも、自分の夢、目標を明確にしていき、親が喜ぶ報告をたくさんしていきたい。おそらく、まだまだやりたいことをやらしてもらう時間が続くと思います。その分、内容、結果ともにすばらしいものに確実に仕上げていきたい。特に私は国家資格というものをとるまでは親に安心を与えられないと思います。国家資格をとるまで高校生活でつちかったものはありませんが高校生としてつちかった責任感というものを武器、長所にまだまだ“自分の夢”のための努力を重ねていきたいです。これだけ書いても努力を出来ず、自分を改めてしまう時間が多い自分ですが、立ち止まって正確な判断を下せる自分をそのときどきで、身につけたい。正直、高校生活をふり返っての作文ですが、ふり返ることが特にありません。しかし、近江高校はそんなに評判が良くないイメージ、偏見をもっていたのですが、入学してみれば最高の仲間たちがたくさんいて、さまざまな分野で頑張れる自分がいました。悩みに悩んで入学した近江高校ですが、半分、近江高校で良かったなと思いました。正直、嫌な部分もたくさんあります。やりがい、生きがいを考えたら、来てよかったです。
自分の欠点がこの学校ではたくさん見つけられ、克服できた部分もあり、学校に感謝したい部分もたくさんあります。何よりこの「近江高校」という場で最高の仲間と最高の夢、目標を共有できて何ものにも代えがたい財産となりました。
3年間ありがとうございました。
平成二十三年四月。私は新しい制服を着て入学式に出席した。校長先生の式辞で松尾芭蕉の「奥の細道」の話をされたことや、期待と喜びでわくわくしているのに反して雨空で少しがっかりしたこと、今でも鮮明に覚えている。
教室に入って、まず思ったことは人数が少なく全体に大人しい雰囲気だったということだ。男子五人、女子十一人、計十六人。そんなA5組は今では、団結力があり、個性豊かで、素でいられて落ち着ける空間がある、クラスへと変わった。なぜ、こんなにも変わったのだろうか。そして、この三年間で何を学んだのか。
まず始めに、A5組の変化について三つ述べたい。一つ目はやはり、三年間同じクラスだからであろう。私たちはこの三年間、かなりの時間を一緒に過ごした。普段は月から金まで八時間授業、土曜講座、春夏冬の長期休暇にある講習会。さすがにここまで一緒に過ごすと、それなりに慣れ、固い空気は消えるだろう。二つ目は、担任の先生と私たちがそれぞれ個性豊かな性格の持ち主が集まったからだ。みんなが個性を持つためにぶつかることもあったが、それなりに何故かまとまり、理解して進んでこれた。担任の先生は年齢が近く色々生徒と一緒に壁を乗り越えてくださり何があっても前に進むことが出来た。しかし、これだけでは団結力があり落ち着く空間は生まれない。そこまでになった大きな要因は三つ目の、二年生のときの文化祭でやったステージ発表だと思う。九月の青海祭のために六月から準備をして授業が終わればすぐに練習、休みの日も集まって練習をした。結果はグランプリを受賞したが、それより練習以上のものを出せたことや達成感、みんなで一つになれた喜びの方が大きく感じた。こんなに素晴らしい感動はそう出来ないし、A5組だから味わえたんだと確信している。
A5組はお互い助け合いながら一丸となって頑張れる、一言で表すとすれば「家族」のようなクラスであったと思う。このようなクラスになれたのは、周りの支えがあったからだ。そして、高校生活で私が学んだこととは「感謝」をすることである。感謝、一言で言ってしまえば簡単なものであるが実は、機会がなければ迂闊に通りすぎてしまうものなのではないだろうか。何かをしてもらったことに対してありがとう、と思うことは普通に日常的である。しかしよく言われる、私たちがこの世に生まれてくること自体がすごい確率であり、この学校でA5組というクラスになり、十六人がこうして三年間を無事に送れたことに対してもまた感謝するべきなのではないだろうか。このように今まで送ってきた日常を少し振り返り、感謝をする。この、当たり前のことを私は改めてこの三年間を通して学ぶことができた。
正直、今の気持ちを述べると次の道に進むのはとても怖い。毎日みんなや先生と会えることが当たり前だと思っていたのが、もうすぐ卒業してしまうことに、いまだに信じられないという気持ちと受け止めなければならない現実に戸惑いを隠せざるを得ない。しかし、それでも私たちは成長し旅立たなければならない。別々の道に進んでしまうがこれからは、A5組で切磋琢磨したこの三年間を誇りに思い次の進路へ突き進みたいと思う。